2012年5月13日日曜日

2001年6月20日質問書


 本年二月八日、私たちは、仙台城本丸跡の石垣修復工事に関して藤井市長に要望書を提出すると共に、その後数度にわたって修復工事関連資料の開示請求を行いました。また、建設局公園課から工事計画の説明や工事現場の案内を受けながら、工事計画全体と進捗状況の把握に努めてきました。この間、真摯に対応してくださった公園課の担当職員の方々には篤く感謝を申し上げます。
 現段階までに明らかになった事項をふまえて、改めて私たちの疑問を述べ、質問と要望をさせて頂きます。

一 当初の理想的な修復理念はなぜ後退したのか

 仙台城石垣修復工事は平成一〇年三月に、鹿島建設をメインとするJVとの間で請負契約が結ばれましたが、そこで仙台市当局が請負業者に示した仕様書(以下、原仕様書と称す)には、石垣修復工事について、私たちがみても感心するほど立派な内容が次のように記されていました。
  ・「修復にあたっては、初代藩主伊達政宗が約四百年前に築いた往事の技術を後世に   伝承することを基本とするため、本市教育委員会文化財課が行う発掘調査と並行し   て工事を行い、本市が別途設置した「仙台城跡石垣等修復調査検討委員会」により   石垣の構造や構築技術の解明を図り、それらの調査を基に、往事の工法を再現し、   文化財としての価値を損なわないように修復することとしている。」(『特記仕様書   石垣修復編』「目的」の項目)
  ・「なお、本工事は江戸期におけるこの地域の特徴的な技術を再現することにあり、   往事の石積や石工技術の継承や伝達も目的としていることから、請負業者は石工職   人についても市内や周辺地域の同職人に呼びかけ、参加させることにより、同技術   者の育成や高揚を図ることとする。」(同前、「石積工」の項目)
 この文章をみる限り、仙台市当局は当初、石垣修復にあたって、往事の工法の解明と再現、さらに地元の石工職人による石積技術の伝承等、文化財としての価値を守るために最大限の配慮と慎重さをもって臨もうとしていたことが伺えます。地元に存在する貴重な文化財を後世に久しく残していくための姿勢としては、高く評価されるべき内容でした。
このような方針を堅持して石垣修復工事を進めていれば、おそらく問題はなかったと思われます。しかし、仙台城跡石垣修復等調査検討委員会(以下、検討委員会と略称)の議事録によれば、最終回となった第九回検討委員会において、委員のなかから、市当局が進める工法に関して、「これは明らかに現代工法ででき上がっている」(第九回議事録七頁)、あるいは「これは我々が言っておった伝統技術を無視した考え方に近いんだと思います」(同前八頁)などと、厳しい批判が出されていました。「往事の工法を再現」するという当初の理念からは大きく後退し、専門家からも批判されるような内容になっていったことが分かります。なぜ、仕様書に見られる理想的な修復方針は、大きく後退してしまったのでしょうか。
 私たちは、仙台市当局が策定したこの素晴らしい仕様書に基づいて仙台城石垣修復に臨むことを強く求めます。
 
二 地元の石工職人をなぜ参加させないのか

 平成一〇年三月の原仕様書には、「往事の石積や石工技術の継承や伝達も目的」としているため、請負業者に対して、「石工職人についても市内や周辺地域の同職人に呼びかけ、参加させることにより、同技術者の育成や高揚を図ることとする。」という条件が明記されています。素晴らしい条件です。
 これに関連して、平成一〇年三月に請負業者との間に交わされた約款には、次のように明記されています。
  (総則)第一条
    発注者及び請負者は、この約款に基づき、設計図書(別冊の図面、仕様書、現場    説明書及び現場説明)に対する質問回答書をいう)に従い、日本国の法令を遵守    し、この契約(この約款及び設計図書を内容とする工事の請負契約をいう)を履    行しなければならない。
 これによると、請負業者は仕様書に明記された事項を遵守する責務を負っていますので、請負業者は仕様書に明記された通り、地元職人を参加させる義務を負っていることは明らかです。
 しかし私たちが本年四月二〇日に、公園課及び鹿島建設の下請けである小林石材の職人の方に確認したところ、参加している石工職人は、主として東京の業者であり、ほかに数人の山形県の職人が参加しているにすぎませんでした。仙台市内には複数の石工職人が存在していますが、右の仕様書に明記された「市内」の石工職人はまったく参加していなかったのです。とすると、請負業者は契約条件を実行していなかったことになります。
 また公園課に、地元職人を参加させるよう請負業者に指導はしているのかと質問したところ、積極的にはしていないとの回答がありました。これは契約条件に反した請負業者の行為を市当局が見逃してきたことにほかなりません。「往事の石積や石工技術の継承や伝達を目的としている」という方針、および地元の石工職人の「育成や高揚を図る」という方針は、完全になし崩しにされきたのです。
 しかしその後、六月五日に、鹿島建設が地元の仙台石材業協同組合理事長らを呼び、修復工事への参加を要請したという事実を私たちは確認しています。この急な動きにも、私たちは極めて不自然さを感じています。
 私たちは去る五月二五日に、質問・要望書を提出するために市長または三役による会見を市当局に申し入れました。これに対して市当局からは、関係部局での調整が必要なために質問・要望書を事前にファックスで送ってほしいとの要請がありましたので、五月三〇日に文書の原案を送信しました。その原案には、上述のような、地元石工職人をなぜ参加させないのかという項目がありました。その直後に、鹿島建設が石材工業共同組合理事長らに参加を要請したということになります。その間、日程調整がつかないということで、私たちの会見要望への回答は引き延ばされていました。確定したのは、五月一九日のことです。鹿島建設による突然の参加要請は、私たちの指摘を糊塗するために急いで行った行為だと強く疑うものです。< br/>  もちろん、地元職人の方々が修復工事に参加されることは望ましいことです。しかし単に参加すればよいというものではなく、伝統工法を真に継承できるように、石積みにも参加できるような形態とすることを私たちは強く求めます。

三 新補石材の形状について


彼らは、サウンドプルーフwndowガラスを作るのですか?

 私たちは二月八日の要望書で、破損した石と交換される新補石材について、異常に長い直方体のまま積み上げられている点を問題にし、名実ともに「伝統工法」による石垣の修復を行うことを求めました。また、このような新補石材を用いる根拠や、新補石材について検討委員会が示した見解を確認するために、委員会の議事録や配布資料等を確認すると共に公園課からのヒアリングを行いました。その結果、驚くべきことに、新補石材の形状は検討委員会の了解を得ないまま変更され、工事を進めていることが判明しました。

 (一) 形状変更は検討委員会に諮られるべき事項だった 

 「往事の工法を再現し、文化財としての価値を損なわないように修復する」という原仕様書に明記された修復方針に基づけば、新補石材も旧材と同規模・同形状にすることが求められます。これらの変更は文化財修復方針の根幹にかかわる問題であり、とうぜん検討委員会に諮られて然るべき事項です。平成一〇年の原仕様書にも、新補石材について、「但し大きさ、高さなどは検討委員会の調査により変更する場合があるので、加工などは調査結果後とする」と記されています。新補石材の形状の変更は、検討委員会の調査検討を経たうえで行うことになっていたことが分かります。
 新補石材の形状の変更は、単に石材の大きさだけの問題ではなく、石と石との間に挟みこんでクッションの役割をはたした木っ端石の量や役割を変更させることにもなります。従来の三期石垣は、四角錐形の石材を大量の木っ端石で包み込んで衝撃を柔らかく受け止める点に大きな特徴がありました。これが、その後の地震にも耐えて三百年以上も石垣が崩れなかった理由だと、伝統工法に詳しい検討委員会の委員は指摘しています(第八回委員会議事録)。
 しかし新補石材は、旧材の四角錐形とは異なってほぼ直方体に近いため、上下左右の石材との接触面が広く、木っ端石の量が極端に少なくなっています。こうした新補材を多用すると、木っ端石がもつクッションの役割は大きく低下することになります。それだけではなく、三期石垣に体現されていた「往事の工法」=伝統工法は大きく姿を変え、その価値を損なうことになります。
 「往事の工法」はこのような特徴をもっており、そこに三期石垣の文化財としての大きな価値がありました。したがって、「往事の工法」を本質的に損なう新補石材の形状変更については、とうぜん検討委員会の審議・了解を得てなされるべきものであることが明らかです。

 (二) 形状変更は検討委員会の了解を得ていなかった 

 ところが、以下の経緯をみると、この形状変更については、検討委員会に諮られることもなく、請負業者との間だけで進められていたことが分かります。
 平成一〇年三月の原仕様書には、購入される新補石材の寸法に関する記事があります。事例としてあげられた中間サイズ(b)をみると、「面」(表面)は六〇p×六〇p、「控え」(奥行)は七〇〜九〇pでした。石材の上端は尻部で一〇〜一五pを削り込み、下端の尻部も五〜一〇pを削り込む仕様になっていますので、旧材の四角錐形に近い形状だったといえます。
 しかし、平成一二年四月に行われた第二回変更契約では購入石材の大きさに変更が加えられ、同じ中間サイズ(b)の「面」は九〇p×九〇p、「控え」(奥行)は一二〇〜一九〇pとなっています。また上端尻部の削り込みは、「表面の五〜一〇%」に変更されています。これは四・五〜九pにあたり、原仕様書の削り込みを大幅に削減しています。下端尻部の削り込みは削除されて、完全な平面形となっています。「面」の面積は二・二五倍、「控え」はほぼ二倍の長さにまで拡大され、尻部の削り込みも大幅に削減していますので、石材の形状は直方体に限りなく近づいているといえます。
 第二回変更契約における、こうした購入石材寸法の変更は、とうぜん実際に積み上げる新補石材の形状変更を前提にしたものだと考えられます。第三回の検討委員会において、初めて新補石材の説明がなされていますが、そこではこの変更契約後の数値が報告されています。しかし、原仕様書の数値や、石材の大規模化、尻部の削り込みの削減等は報告されていませんので、委員が石材の形状に変更があったと気が付くことは困難だったと思われます。また、購入石材だけではなく、実際に積み上げる新補石材を旧石材とは異なった形状とすることについて、委員会での説明はまったくなされておりません。
 第二回変更契約がなされた時期は、検討委員会が存続した時期にあたります。前述のように、石材の大きさは「往事の工法を再現する」という目的の根幹に関わる問題であり、その変更にあたっては、とうぜん検討委員会に諮るべき事項です。にもかかわらず、検討委員会の了解も得ずに購入石材や積み石の形状が変更され、巨大な新補石材による積み上げ工事が行われているのは看過できない重大問題です。 
 市当局は、安全性を重視して旧材よりも大きな新補石材を用いたと説明しています。そうであればなおさら、検討委員会に報告して当否を確認し、その了解を得る必要があったはずです。検討委員会が存在していたにもかかわらず、購入石材の形状について請負業者との間で内密に変更契約を行っていたことは、同委員会を軽視した行為だと言わざるを得ません。
 また市当局は、積み石の形状変更について、検討委員会解散後に特定の旧検討委員会の委員から指導を受けたとも説明しています。しかし購入石材の寸法変更は、積み石の形状変更を前提としたものであることが明らかですので、検討委員会解散後に指導を受けて変更したという説明は辻褄が合いません。もし、委員会に諮らずに一部の専門家から指導を受けていたとすれば、これも公的な検討委員会をないがしろにしたやり方だと言わざるを得ません。
 以上のように、現在進行中の直方体の新補石材による修復工法については、検討委員会の「調査審議」を得ずに行われているものであり、委員会の設置要綱に反した不当な工事だと言えます。私たちは伝統工法を否定する現工法を決して容認することはできませんが、少なくとも再設置される新委員会において、現工法の妥当性等が検討され、その結論を得るまで、現在進行中の工事を直ちに中止することを強く求めます。
 
 (三) 新補石材の問題点


地下を行う方法

仙台市当局は、新補石材の尻部をわずかに削っただけの直方体としたことについて、大きな石材のほうが強度があること、上下に隣接する石材との接触面が大きくなり衝撃を広く受けとめて力を下方に分散できること、等と説明しています。形状が大きくなれば単一石材の強度が高くなるのは当然かもしれません。また全ての新旧石材が直方体であれば、こうした説明にも一定度の合理性があるかもしれません。しかし、新たに挿入される新補石材は部分的ですので、必ずしも石垣全体の強度が増大するとは考えられません。むしろ逆に、以下のように石垣の安定性を損なうのではないかと危惧されます。
 @ 四段目までの石材のうち四割は、従来の古い石材が原位置に再配置されます。形状の大きな新補石材は六割を占めますが、これらは古い石材のなかに入り交じりで配置されています。形状の異なる旧石材と新補石材が混在するのですから、力学が不安定になることは容易に推定できます。
 A 市当局は、平面部の広い新材を密着して置くと、相互の面で支え合って石が前面に飛び出すことはないと説明しています。石垣の全てが新材であればこうしたことも考えられますが、形状の異なる旧材と新材を混在させた場合、小さな旧材に上下左右からの力が集中し、旧材が破損したり飛び出してくる可能性が考えられます。
 B 新補石材は旧材に比べて平面が広くなっていますが、表面には小さいながらもオウトツ(凹凸)があります。新材と新材を密着して上下に配置した場合、そのオウトツ部分に力が働き、石材が破損する可能性が考えられます。
 C 旧来の伝統工法では、石材は尻にいくほど細くなり、そのため石と石の間に大量の木っ端石を挿入してクッションの役割を担わせていました。伝統工法において、わざわざ手間のかかる四角錐形にしたのは、石と石との接触面を減らして木っ端石の充填量を増やし、石垣全体の柔構造の度合いを高めるためであったと考えられます。しかし新材は直方体に近いため、充填する木っ端石はごく少量にすぎず、クッションの役割は期待できません。しかも、少量の木っ端石が平面体の新材の間に挟みこまれた場合、その木っ端石には柔軟性がないため、新材と木っ端石の接触点に重力がかかり新材に破断が発生する可能性が考えられます。
 D 修復工事では新補石材を上下左右に重ねた部分が多く見られます。これですと平面状の石材が直に重なりあうことになりますので、上下左右からの荷重・衝撃は新補石材にストレートにかかり、背後からの土圧も加わりますので、押さえのない前面に新補石材が飛び出したり、石割れの可能性がより高くなることが考えられます。
 E 市当局は、新材と旧材が上下に隣接した場合、長い新材の尻部に飼盤石をあてがって上からの重力を受けとめると説明してます。しかし旧材の後部と飼盤石の間には、わずかとはいえ空間が生まれるため、上からの圧力にひずみが生じて新材に破断が発生する可能性が考えられます。

 「往事の工法」=伝統工法は柔構造によって耐震性を保ってきたと考えられますが、現在行われている新工法は剛構造に転換したということができます。しかし以上の点を考慮すると、伝統工法より新工法が安全性に優れていると断言することはできないのではないでしょうか。こうした可能性について、市当局はどのような理解をされているのでしょうか。 
 
四 調査検討委員会について

 (一) 再設置された委員会には権限もなく委員構成もおかしい


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 私たちは、去る二月八日の要望書で、昨年八月に解散された調査検討委員会を再設置することを強く求めました。また昨年来、県内の歴史研究七団体や全国の文化財・歴史学会・考古学会等からも、同委員会の再設置を強く求める要望書が再三にわたり提出されてきました。
 石垣修復工事が進行中にもかかわらず、仙台市が石垣修復等調査検討委員会を解散したこと自体が大変異常なことでした。その後は特定の旧委員から個別指導をうけているとのことでしたが、こうした不透明なやり方に対して、各学会だけではなく、市民からも強い批判が次々に出されてきたわけです。今回、委員会を再設置せざるを得なくなったのは、こうした声に押されたからだと受けとめています。
 本来ならば、委員会の再設置を歓迎すべきところですが、それができないことは極めて残念なことです。新委員会には極めて重大な問題があるからです。
 まず、委員会には、何らの権限も与えられていないのではないかという問題があります。旧委員会は、発掘調査と艮櫓の復元に関し「調査審議する」となっていて、かなり強い権限が付託されていました。しかし新たに設置された仙台城石垣修復工事専門委員会は、「指導及び助言」をするだけとなっています。
 この点について 公園課に、もし委員会でこれまでの工法等について異論が出たらどうするのかと尋ねたところ、意見を採用するかどうかは行政側が判断すると明言していました。要するに、ご意見は伺いますが、最終判断権は行政側にあるということです。委員会には何の権限も付与されておらず、完全に骨抜きにされていると言わざるを得ません。
 市民や学会から密室行政だとの批判を受けて委員会を再設置したのですが、その実態はこのようなものだったのです。これでは、ご意見は承りましたという形をみせるだけの委員会であり、委員や市民を愚弄するものにほかなりません。委員から指摘された問題点は謙虚に受けとめて尊重し、石垣修復工事や艮櫓の新築問題に適切に反映させることを強く求めます。
 また、委員の構成にも問題があります。旧委員会には歴史学(文献史学)の専門家が入っていましたが、委員名が公表された石垣修復工事専門委員会と艮櫓復元専門委員会には入っていません。今後、人選の予定とされている仙台城跡調査指導委員会には歴史学関係者を委員に任命する可能性がありますが、この委員会は現在工事が進行中の石垣工事や艮櫓に関与しないと聞いています。
 旧委員会では、石垣や艮櫓の問題について歴史学の立場から専門家が関与し発言していました。史実を確定し、より適切な文化財行政を遂行するためには、文化財・土木工学等と並んで歴史学の専門家が不可欠です。にもかかわらず、なぜ歴史学の専門家は排除されているのでしょうか。旧委員会を三委員会に分解して歴史学関係者を石垣と艮櫓委員会から排除するやり方は巧妙ですが、行政の都合を優先させるための委員会構成だと言わざるを得ません。これからでも遅くはありませんので、石垣と艮櫓の両委員会に歴史学の専門家を加えることを強く求めます。
 また、本書の「三、新補石材の形状について」の項目で指摘したように、現在進行中の直方体の新補石材による修復工法については、旧委員会の「調査審議」を得ずに行われているものですので、新委員会によって厳密な検証を受けることを強く求めます。
 
 (二) 旧委員会を解散させたのはなぜか 

 旧委員会を解散させた理由について、市当局はこれまで、三年の任期が来たためと説明していますが、情報開示された資料等によれば、これを正当な理由とみなすことはできません。
 平成九年八月二九日の第一回調査検討委員会で配布された「仙台城跡石垣修復等調査検討委員会設置要綱」第三条第三項によれば、確かに「委員の任期は、三年とする」とされています。しかし同四項には、「委員は、再任されることができる」とあります。つまり市当局自身が、委員の再任を予定していたことが明らかです。それはこの第一回委員会で示された工事日程が、平成八年度から平成一三年度までの六年間となっていることと関係していると理解できます(委員会配布資料「仙台城石垣修復工事概要」)。市当局は当初、同委員会を工事期間と同じ六年間存続させる予定だったのです。
また、同委員会の設置目的からみても、委員会の解散には問題があります。「設置要綱」第2条には、同委員会の役割について次のように記しています。
  第2条 検討委員会は、次に掲げる事項を調査審議する。
   (1) 石垣の解体修復にともなう構造等の解明に関すること
   (2) 石垣の修復に伴う発掘調査に関すること
   (3) 艮櫓の復元に向けた調査に関すること
   (4) その他石垣及び本丸の諸施設の構造等を明らかにするために必要な事項
 こうした内容からみて、同委員会は少なくとも石垣修復工事の完成まで存続し、石垣や艮櫓の問題について調査検討する役割を負っていたと理解できます。平成一〇年の原仕様書の新補石材の項目には、「但し大きさ、高さなどは検討委員会の調査により変更する場合があるので、加工などは調査結果後とする」と記されていますが、新補石材は石垣上段の部分にも配置されます。したがってこの規定は、修復工事期間中における検討委員会の存在を前提としたものにほかなりません。にもかかわらず委員会を解散させたことは、極めて不可解であるだけではなく、市当局自身がこうした規定に反する行為を行ったものと言わざる得ません。
 委員会では、伝統工法や艮櫓の問題をめぐって意見が対立していましたので、市当局の方針に反する結論が出ることや、議論の長期化によって工期が遅れることを恐れて解散させたのではないかとの強い疑いがあります。これでは、公的に設置された委員会をないがしろにした行為だと言わざるを得ません。市当局には強く反省を求めるものです。
 また市当局の説明によると、検討委員会の解散後、伝統工法に詳しい元委員の一人から指導を受けているとのことです。しかし検討委員会には、ほかにも伝統工法に詳しい委員が少なくとも二人いました。なぜこれらの元委員に意見を聞かないのかと尋ねても、「理由は勘弁してほしい」ということで明らかにされていません。検討委員会を解散したうえで、特定の元委員からのみ個別指導を受けるというのは、極めて不透明なやり方です。検討委員会でオープンに議論され承認を得てこそ、修復工事に市民や文化財関係者の信頼を得ることができるのではないでしょうか。この点も市当局に強く反省を求めます。

五 艮櫓について

 (一)艮櫓の位置は史実に反している


 第三回検討委員会において、同委員会の下に専門部会として艮櫓部会が設置されました。その検討結果が報告された第六回検討委員会以降、艮櫓の建設位置については、三期石垣の上に復元すべきだという意見と、二期石垣の上に復元すべきだという意見が対立し、同委員会の最終報告書では両論併記という結果になりました。しかし、藤井市長は、昨年一一月、三期石垣の上に復元するという方針を発表しました。
 三期石垣の上に艮櫓がなかったというのは、同委員会の委員長も認めています(検討委員会第八回議事録)。仙台市当局も、「史実に忠実に」復元するという方針を繰り返し表明してきました。にもかかわらず、艮櫓のなかった三期石垣の上に復元するというのは、市当局自身が当初方針に反する決定を下したことになります。

 (二)市当局も艮櫓の形態は不明と発言 

 検討委員会では、艮櫓の姿かたちについて、ほとんど検討がなされておりません。しかも検討委員会の委員長は、史料がないので政宗時代の建物を復元することはできない、あるいは、形自体がわからない、という発言をしています(第八回議事録)。また観光交流課長も、復元という命題に耐えるだけの図面が少ない、建物自体完全な復元ではない、と発言しています(第六回議事録)。
 つまり現在計画されている艮櫓は、委員長や観光交流課長も認めているように、政宗時代に存在した櫓の「復元」ではなく、史料的な根拠のない単なる新規建築物にすぎないのです。にもかかわらず市当局は、「仙台城艮櫓復元事業」と称して復元図や復元模型を作り、市民にPRしています。これでは市民に、政宗時代の艮櫓が「復元」されるかのような誤解を与えるだけです。また、「復元」という言葉を用いることは適切ではありませんので、正しく「艮櫓新築事業」と称すべきです。
 このように、検討委員会において史実や発掘成果との突き合わせが十分になされていないにもかかわらず、市当局が建築計画を事実上進行させている事態に、私たちは重大な懸念を抱いています。なお私たちは、市が公表している艮櫓の形状について、重大な疑問をもっています。この点については、本書とは別に、改めて私たちの見解を示し、市が作成した設計図の根拠について質問書を提出することにします。

 (三)艮櫓のパイルは一期石垣遺構を破壊する

 仙台市の計画によれば、艮櫓の基礎を補強するために二メートル四方の巨大な六本のパイル(杭)を土中に築くとされています。しかしこのパイル工事によって、「小段」や「玉石層」など、一期石垣の背面遺構が破壊されることも判明しています。
 史実とは異なった櫓建設のために、貴重な第一期石垣の遺構を破壊することは、仙台市当局の文化財行政のあり方に重大な禍根を残すものです。私たちは、全国的にも貴重な文化財を意図的に破壊する行為を断じて容認することはできません。
 
 (四)艮櫓新築後の入館者数や経済的効果について

 私たちは、史実に基づかない艮櫓を新築したとしても仙台市の新しい魅力になることはなく、逆に各方面から嘲笑されるのではないかと強く危惧しております。仮に物珍しさで一時的に目を引いたとしても、捏造された建築物はすぐに魅力を失い、長い目でみれば逆効果であると考えております。
 しかし市当局は、誘客施設としての効果を見込んで新築を計画されているようですので、その点についてお尋ねいたします。
 新築される艮櫓は観光客等が入館可能な施設にされるとのことですが、年間入館者数は、どの程度見込んでおられるのでしょうか。また艮櫓新築による新たな経済的効果をどのように見込んでおられるのでしょうか。とうぜんこのような算定が行われたうえで新築計画に着手されていると思いますので、具体的な数値をご提示下さい。

六 地中レーダー計測をなぜ行わないのか

 昨年7月に東北大学東北アジア研究センターの佐藤源之教授が、仙台市から依頼を受けて、修復工事現場において地中レーダ計測を行い、左記のような結果をホームページで公表しています(
  ◎地中レーダ計測からわかったこと
   ・深度1m付近に反射を起こす物体を見出した。
   ・0.5‐1m程度の大きさで数個見られる。
   ・物体が何であるかは判別できない。
   ・これまでの経験では大きめの石である可能性がある。
   ・ただし、レーダ特有の虚像を考慮する必要がある。
   ・より精密なレーダ調査により、より確度を向上させられる。
 これによれば、現在確認されている一期石垣の上部の壁面内部に、「大きめの石」が存在する可能性が指摘されています。これは、まだ未発掘の一期石垣が存在している可能性を示しています。佐藤教授は、「より精密なレーダ調査により、より確度を向上させられる」と指摘していますので、一期石垣の存否の確認を含めて、さらに精度の高いレーダ計測が行われる必要があります。佐藤教授も要請されれば応じると明言しておられます。
 しかし、担当部局に再調査の有無を確認したところ、一期石垣が存在する可能性は低いので調査は予定していないとのことでした。これは調査者である佐藤教授の指摘を無視した見解だと言わざるを得ません。あたかも、これ以上、一期石垣の遺構が発見されることを恐れているかのようです。
 伊達政宗が築造した一期石垣の構造をより確実に把握できるチャンスであるにもかかわらず、市当局がこうした消極的な姿勢を取っていることは、極めて不可解なことです。文化財行政の健全な姿を全国に示すためにも、再度の地中レーダ計測を実施することを強く求めます。

七 工事記録について

石垣の解体工事にあたっては、旧石材や背面構造について詳細な記録がとられてきました。これは、「伝統工法」の実態を明らかにする貴重な歴史的記録になります。同じように修復工事についても、新・旧石材の形状・配置や背面工事等に関する詳細な記録をとり、歴史的データとして残す必要があります。そうでなければ、開府四百年に行われた石垣修復の実態を後世において十分に検証することはできません。
 その場合の記録は、単に文書や写真による記録にとどまらず、修復工事の過程を撮影したビデオ映像が重要です。石積み工事の様子をリアルに再現し、確認することができるからです。ぜひ、文書・写真・ビデオによる詳細な記録が残されるよう、強く求めるものであります。
 なお、ビデオによる撮影は、学術映像記録としての性格をもちますので、工事関係者以外による、学術映像記録を専門とする業者に委託することも求めます。

八 文化庁の見解について


 市当局は、仙台城跡について国指定史跡をめざすと表明しています。また市の文化財保護委員会でも国指定を目指すよう勧告しています。しかし、前記したような工法で石垣修復が行われ、また資料的根拠の薄弱な艮櫓が建築されると、仙台城本丸跡それ自体が文化財としての価値を著しく低めることになります。私たちは、これらによって国指定史跡の条件を満たさなくなるのではないかと、強く懸念しています。
 市当局は、現在の修復工事や艮櫓の建築について、さらには地中エレベーターを建設する「青葉山公園基本計画」について、国指定史跡との関連で文化庁に具体的に意見を求めたことがあるのでしょうか。また、検討委員会のあり方等について、文化庁に報告し意見を求めたことはあるのでしょうか。あるのであれば、その内容を公開することを求めます。また、国指定史跡をめざすスケジュールと可能性について明示することを求めます。

九 要望と質問

 以上をふまえて、以下に私たちの質問と要望を簡潔にまとめます。これに対する仙台市長の見解をお尋ね致したく存じますので、遅くとも六月 日までに文書にてご回答くださるようお願い致します。

 一、原仕様書に明記されている通り、地元の石工職人を石垣修復工事に参加させること。また、「市内」の石工職人を参加させなかった理由について説明すること。
 二、原仕様書に明記されている通り、「往事の工法」による修復を行うこと。また、新補石材がもつ不安要素について説明すること。
 三、新補石材の形状変更について、なぜ検討委員会に諮らなかったのか、その理由を説明すること。また、新補石材の形状を変更した経緯について、詳細に説明すること。
 四、再設置される石垣と艮櫓の新委員会には、歴史学の専門家を加えた構成とすること。また、新委員会では現在進行中の工法について十分に審議し、その意見を尊重すること。
 五、艮櫓については、三期石垣の上に存在せず、その建築は貴重な一期石垣の背面構造を破壊することが明白であり、またその形状についても疑問があるので、建築計画を白紙撤回すること。
 六、艮櫓の入館者数や経済的効果についての予測値を提示すること。
 七、本丸北東壁面に一期石垣の遺構が存在する可能性が指摘されているので、その存否の確認のために、より精度をあげた地中レーダ計測を実施すること。
 八、石垣修復工事の過程を、文書・写真・ビデオによって詳細に記録すること。
 九、市当局が明言してきたように、仙台城跡を国史跡指定とすることに努力し、そのスケジュールと可能性について示すこと。また文化庁の見解を公表すること。
                               以上
    二〇〇一年六月二二日



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